辻 博之 Tsuji Hiroyuki

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歯車

山口将太朗さんの舞台「歯車」観てきました。言わずと知れた芥川龍之介の遺作。晩年の「唯ぼんやりした不安」将太朗さんの原作を読み込むことへの真摯な姿勢のうかがえる、色を抑えた空間作り。飽きさせない音楽使い。リストの神曲の煉獄編のファゴット、シューマンの蝶々、滝廉太郎の怨み、効果的なノイズ使い。それが、彼が得意とする手振りと、計算とインスピレーションの降りかかる群舞で語られてゆき、役者も象徴的なほんの少しの手振りにてその間を詰める。なんと言うんだろう。贔屓目かもしれないが、浅くみると自然な間も、深く観てゆくと不確かな、気持ちの悪い間が支配していて、それがまた全て歪なのだ。だからこその世界観。その美。ただ芝居と演技がコラボしたのではない疎通が、両者のバランスが見事だった。スピードダンテ神曲の煉獄。天国とこの世の間をまさに表現したこの作品にふさわしいテーマが支配するこのダンス作品のスピード。あえて上裸のダンサーの肉体と、無機質な鉄製のシュテンダーの対比が、抑えた照明によって投影される奥行きによって、見えないはずの業火までもが見えてくる。全てが対位法として作られ、流れ、セリフという手段を走馬灯のように、彼の途切れた記憶のように私たちに映し出す。しかし、原作の空気感を逸脱せず、受けとる間の感覚は、そのまま。彼の心の中に原作のテンポ感が刷り込まれるまで多方向から読んだであろうことがわかり、尊敬する。まさしく彼の真面目さ、客への封を切る前の潔い足掻きの執着まで見えてくる。指揮者が、スコアに対する責任がそうであるように、それはダンス/芝居とクラシック音楽は舞台が違えども、作者への尊敬と愛と真面目さがあれば、冒険と手法の可能性は永遠にあることを、ぼくに教えてくれた舞台だった。そして、山口氏の特に身近にいる者として、彼のこの舞台への向き合い方を傍観して、板の上にモノをのせることの覚悟と責任を、勉強しました。ぼくも、作ろう。1人の音楽と舞台の下僕として、より高いものを。昨日の舞台に関わった皆さん、友人たちに感謝を込めて。辻博之